「シェア」―〈共有〉からビジネスを生み出す新戦略

 

 

 

 現在カーシェアや民泊、シェアハウスというものが頻繁に言及されるようになりました。「シェア」「共有」という考えが、徐々にですが日本にも浸透し始めています。

 

 これまでも衣服の貸し借りやCDの貸し借り、中古市場というものは大昔からありましたが、ビットコインやクラウド・ファンディングに代表される金融IT革命「フィンテック」のような新しいビジネスは、そうした従来の中古やレンタルとは違ったものです。

 

 こうした潮流の元の思想を表明した著作があります。その本は「シェア」といい、2010年にアメリカで出版され、世界的な反響を呼びました。著者はルー・ロジャースとレイチェル・ボッツマンという人物で、日本ではNHK出版から出ています。

 

 「シェア」は、90年代末期からリーマンショック以後に出現したアメリカのビジネスや社会のあらましを、今後の社会モデルとして詳述した本です。

 

 

 

コーポレーション(株式会社)という思想

 

 

 「割り勘」というと、何となくセコイ印象を持って使われる言葉ですが、現在、恋人同士でも「割り勘」が当たり前となっているようです。欧米ではとうの昔からそれが普通だと聞きます。状況によってではあると思いますが。この「割り勘」という考え方は、そもそもオランダで始まったものです。英語では「ゴー・ダッチ」といって、いわば「オランダ人式で行こう」といったところでしょう。ケチという意味もあります。

 

 このオランダからシェアという思想が16世紀に始まりました。15世紀末から、スペインやポルトガル宮廷で財務長官などをしていた「宮廷ユダヤ人」(ホーフ・ユーデンといいます)という人たちが、イベリア半島から追放され、難民・亡命者として訪れたのが、当時はまだ海と湿地帯だったオランダ(ネーデルランド、低地という意味)だったのです。

 

 この低地であったオランダから「株式会社」(コーポレイション)と「有限責任」(リミテッド)という考えが生まれました。コーポレーションをドイツ語でコーポラチオーンといいますが、これがまさに「シェア」という考え方です。

 

 それまで、ものの所有は大貴族や王様が大きなお金を一人で出して、巨大な船などを買いました。その船が海外からたくさんの物を運んできてくれればまた大儲けです。しかし、船が沈没したら大ごとです。今の10億、100億円をかけて作った船もろとも、運んだものすべてを損してしまいます。

 

 しかし、これを10人の金持ちが1億ずつ、100人が1000万ずつ、10000万人が10万ずつ出せば、損は小さく済みます。また出すお金も均等でなく、バラバラに出して、もうけもその割合に応じて配分すれば、理にかなっています。これのことをと「合理主義」(ラショナリズム)といいます。

 

 これを「有限責任」といって、出資した配分で損と責任を負う。さらに沈没した際のための損害保険も同じように割合で分配する。ここからリミテッドという考えと、コーポレーションという考えが生まれました。

 

 ただ会社といった場合は「カンパニー」(company 仲間)といって、これは元は「コム(com 共に)」と「パニス(panis パン)」を食べようという意味です。「コム」は「~を共有する」(シェア~イン・コモン」(share ~ in common) というフレーズで使われる「コモン」の語源です。「シェア」と「コモン」は共起表現で使われ、同じ意味といってもいいでしょう。「庶民」のことを「コモナーズ」(commoners)といいます。

 

 それに対して「株式会社」は「コーポレーション」といいます。そのため「株」「株式」のことを「シェア」といい、株主のことを「シェアホルダー」といいます。

 

 こうしたことから、共に生きるという意味で「シェア」というシステムこそが、近代、モダーンの始まりだと言われています。

 

 

 

本来の「シェア」―共に共有する、分かち合うこと

 

 

 こうしたシェアは物事を配分に応じて分割するというもので、ここから投機市場というものが発達していきました。株券自体に市場の相場に応じてさらに値段が付くようになりました。これは「スペキュレイション」(投機、皮算用のこと)といって、本来の資本主義や投資(インヴェストメント)と異なったものです。

 

 そして、本来の「シェア」という思想とも異なります。シェアとはそもそもコミュニティが存在して成り立つことが前提です。コミュニティとは「共同体」と訳しますが、本来は生活や利益を共有した「人と人との結びつき」のことです。つまりかつての社会はどこも共同体でした。村落も町民もみな近所づきあいと、山林や農地などの共有資源を共に管理して生活していました。

 

 それが20世紀に利己的な利益追求がなされ、それへの反省への動きが今生まれつつあります。

 

 そもそも「コーポレーション」とは「人の体―コープス」を意味します。人の体とは、機能、ファンクションの集まりです。これを「有機体―オーガニズム」といい、「システム」や「メカニズム」と対極のものとしで考えられるものです。システムやメカニズムは、各部位の取り換えが聞く「機械」という意味ですが、有機体、オーガニズムは、各機能は取り換えの利かない、それ自身に価値のある者の集合体です。

 

 これからのシェアはこうした人と人とつながりを、あたらしいツールによる場の中でシステムをコミュニティ形成の手段として活用し、実現化していく大きな試みです。

 

 本書「シェア」は、主にスマートフォンやインターネット、そしてAIなどによる新しいプラットフォームや技術によって、資本主義的な利己的利益追求と環境破壊を乗り越えた、新しいコミュニティ作りがすでに世界的に始まっていることを、さまざまな実例を盛り込んで説明しています。

 

 この文章では、本書「シェア」の中で提示された「協働型消費」という思想を中心に説明していきましょう。

 

 

 

協働型消費の三つのモデルと四大原則

 

 

 まず、筆者はこの協働型消費という考え方には三つのモデルがある述べています。以下の三つです。

 

 

1「プロダクト=サービス・システム」

2「再分配市場」

3「協働型ライフスタイル」

 

 

 まず、この三つのモデルを説明していきましょう。

 

 

 

1.プロダクト=サービス・システム(PSS)

 

 

 プロダクト=サービス・システム(PSS)「ある商品を100パーセント所有しなくても。その製品から受けたサービス―つまり利用した分―にだけお金を払うという「所有より利用」の考え方」(本書 122ページ 以下すべて「シェア」からの引用ページ数)だと述べています。

 

 現在、世界中で多くの人が、この「所有すること」を放棄する考え方に傾いており、その結果、産業界の様々な局面で、個人の私的所有が前提であった従来のビジネスが、ユーザーに良いほうに「破壊されつつ」あります。

 

 「ペイパル」のビットコインから始まった金融テクノロジーである「フィンテック」と呼ばれるビジネスを行う企業が、それまで銀行しかできなかった特殊で特権的な業務を、IT技術によって簡易化することで、参入障壁を一気に引き下げることに成功しました。それが金融業界自体を解体しつつあることはもはや周知の事実です。これはATMはおろか、金融窓口や店舗も必要なくしつつあります。

 

 この本では金融ビジネス以外でも。カーシェアや太陽光、P2Pの貸し出しサービス、製品寿命を延ばすサービスにおいても同じ現象(業界の分解「アンバンドリング」といいます)が起こっていることを説明しています。

 

 プロダクト=サービス・システムの根本的な思想は、あまり使われていない私有物をシェアによって最大限に活用(注記: この意味の「活用」は、make the best of という、本当の意味では最高というわけではないけれど、今ある範囲では最も良いことを引き出しているという意味)し、コストを節約し、所有から利用へ価値観をシフトすることで、多様なニーズを満たす選択が変化し、いっそう多様になるというものです。これは政治学上では「ラショナル・チョイス(合理的選択理論)」という考え方に沿うものです。

 

 

 

PSSの典型ビジネス―保険版フィンテック「インステック」

 

 

 この意味でPSSを説明するためには、「損害保険」の例がいいでしょう。損保ビジネスのフィンテック化が現在すでに始まっていますが、テレビCMで「保険料は走る分だけ」というフレーズがまさにそれを表しています。これはPSSの考え方そのものです。

 

 これは車に走行データなどを計測するデバイスを取り付け、「走行距離」「走行スピード」「急ブレーキの回数」など、細かな運転データを測定記録し、それを保険料に反映するというシステムです。こうした車のことを「コネクテッド・カー」といいます。

 

 急ブレーキの回数が標準回数と少なければ、翌月は割引やポイント加算といった形でインセンティヴを提供します。こうした新しい保険モデルがすでに販売され保険業界を「アンバンドリング」(分解)し始めています。危険運転やスピードオーバーなども計測し、運転者に安全運転を促し、そのインセンティブをポイントや保険料割引で提示します。

 

 また仕事などで運転しないドライバーの場合、走行距離が少ないため、大幅な保険料割引が期待できます。乗らないのだから保険料がかかるのは理にかなわず、もったいない。非常にわかりやすい思想、それがPSSです。

 

 コネクテッド・カーは現在進歩の著しい「AI=ディープ・ラーニング」(人工知能第3次革命)を装備することで、センサー主体のコネクテッド・カーよりさらに進んだ画像認証などを搭載した、自動運転車へと進化している、まさにその途中です。AIによる進んだ画像認証で、ほかの車を運転している危険ドライバーをも察知する機能が開発されています。

 

 こうなるといずれ、自動車保険ビジネス自体に存在意義がなくなることが予想されており、そのため、こうしたフィンテック系ビジネスは「ディスラプターズ」(破壊者)と呼ばれています。少なくとも、事故の責任は個人ではなく、自動車会社かデバイス会社の担当ということになるでしょう。それらの会社もすでにそれを見込んだ保険に入ります。

 

 

 

2.再配分市場

 

 

 二つ目のモデル「再分配市場」とは、「ソーシャル・ネットワークを通して、中古品や私有物を、必要とされていない場所から必要とされるところ、また必要とする人に配りなおす」(123ページ)というものです。 

 

 なんだ蚤の市(のみのいち、フリー・マーケット flea market )じゃないかといわれる方もいらっしゃるかと思います。しかし、再分配市場は、従来のそうした中古市場も一部に含んだ、多種多様なシェアの方法を網羅したモデルです。

 

 そこで著者はこの再分配市場を8つの種類に分けています。

 

 

①完全に無料のサービス。

ポイントと交換するサービス。

現金で購入するサービス。

現金とポイントの組み合わせ。

同じ種類の品物の交換。

同じくらいの値段の交換。

赤の他人との交換。

知り合いとつないでくれるもの。

 

 

 著者は、これらは単なるモデルではなく、世界にはこの8つの「再分配市場」が存在しているとことと、それぞれすでにサービスを供給している企業が存在していることを指摘しています。

 

 再分配市場モデルは、三つのRでいわれるリユース(著者はリディストリビュートとも述べています)のことですが、こうした様々な組み合わせや種類があります。筆者によれば、こうした再分配市場は、「これまでの生産者、小売業者、消費者の関係に挑戦し、「もっと買おう」「新品を買おう」というこれまでの原則をひっくり返すもの」(124ページ)と定義しています。

 

 つまり、これまでの資本主義的な利益追求、生活のための糧を稼ぐ手段でしかなかったモノの生産とサービスの提供という「再分配」を、そうではない様々な生活の目的達成手段として定義しなおし、とくに上記の7つ目と8つ目の「赤の他人との交換」「知り合いとつないでくれる」という、「人間同士の関係構築」に主眼を置いているところが特徴的です。

 

 これを構築するのに、現金以外のポイントなどを活用しますが、それが「フィンテック」事業や電子マネーの個人間送金といったシステムによって、最も早く実現しています。そして今後IoTといったものとモノとモノ同士をつなげる技術によって、この考えと方法は一層広がっていくことが考えられます。

 

 

 

3.協働型ライフスタイル

 

 

 三つ目のモデルは、モノや目に見えるもの以外のシェアや交換だけではなく「同じような目的を持つ人たちが集まり、時間や空間、技術やお金といった、目に見えにくい資産を共有する」という「協働型ライフスタイル」です。

 

 具体的には、オフィスシェア、モノ、仕事、時間、おつかい、庭、ランドシェア、スキル、食べ物、駐車場といったサービスが挙げられています。こうした多岐にわたった生活の必要を「シェア」するというのは、なかなかイメージしにくいものです。昔でいえば「なんでも屋さん」というところでしょう。

 

 しかし、「協働型ライフスタイル」は「インターネットのおかげで、メンバー同士を調整し、規模を拡大し、物理的な隔たりを飛び越えることができるようになった」(125ページ)ことで、世界的な広がりを見せているようです。つまり、ただお金を儲けるだけではなく、その根本はあくまで「ヒューマン・リレイションシップ」であって、利益の追求が主眼に添えられているわけではないということです。

 

 「交換する対象が、しばしばモノではなく人と人の関わり合いなので、お互いを強く信頼することが求められ」(125ページ)、その結果「無数の人と人とのつながりや社会的関係が生み出される」(125ページ)ことが発生しています。

 

 こうした3つのいわゆる「新たなリサイクル・モデル」は、一般的に環境保護と抱き合わせで考えられています。しかし著者は、2008年のアース・デイ(地球環境を考える日)での「イーベイ」(世界最大のインターネット・オークション企業。「フィンテック」の元祖、「ペイパル」を買収したことでも有名)のコメントを引用しています。

 

 「環境ビジネスとして立ち上げたわけじゃない。もともとこのサービスに備わっていたんだ」(126ページ)。

 

 「環境にやさしい」(Eco-Friendly)という言葉は、この四半世紀もてはやされてきた言葉です。しかし、その本質は、事業の「持続可能性」(サスティナビリティ sustainability)です。協働型消費はサスティナビリティの可能性を大いに秘めていますが、それはそもそもこうしたサービスに備わっており、さらにコミュニティと切り離せない事業であると述べています。 

 

 

 

協働型消費の四大原則

 

 

 本書の著者は、上記の三つのモデルとはまた別に、協働型消費の例を一つ一つひも解いて、それらのサービスの中に共通した四つの原則があることを主張しています。

 

 その四つとは、

 

 

1「クリティカル・マスの存在」

2「余剰キャパシティの活用」

3「共有資源の尊重」

4「他者との信頼」

 

 

です。一つ一つを見ていきましょう。

 

 

 

① クリティカル・マス

 

 

 一つ目の「クリティカル・マス」は先に説明した協働型消費の三つのモデルの例をとって、協働型消費のシステムがある臨界点に達すると、持続可能なビジネスやコミュニティに発展していくことを示唆しています。

 

 「シェア」の129ページから136ページには、衣服交換会、自転車シェア、工具レンタル事業の実例が書かれていますが、これらからは、品物やサービスの「多様性」「便利さと快適さ」「利用という価値」というシェアの根底に流れる考え方がうかがえます。

 

 「多様性」(ディヴァーシティ。最近ではダイヴァーシティの発音がよく使われています)は環境やエコ・システム(生態系)を語る際に長く使われてきた言葉ですが、商品の品ぞろえを表現する際にも使われてきました。この多様性からクリティカル・マスの発生に関して著者は「クロージング・スワップ」のイベントを例に挙げています。

 

 普通の中古品では、必ずしもその中に気に入ったものがあるとは限らず、客は不満足のまま店を後にすることが考えられます。服の品揃えの場合はサイズがものをいうので、多様な仕入れは必要不可欠ですが、中古服でその多様性を望むのは難しいといわざるを得ません。しかし、アメリカの「クロージング・スワップ」はサイズや種類、また値札が付いたままの新品など、高い多様性を確保し始め、出品者であり参加者、購入者が高い満足度を得られています。

 

 こうした満足度は一般的には「カスタマー・サティスファクション」(CS、顧客満足度)として企業アンケートなどの際に使われるものとは違って、UX(ユーザー・エクスペリアンス)といったほうがいいでしょう。「ユーザーが本当に満足した快適な経験をした」ということを表します。

 

 こうして出品数や規模が拡大するにつれ、協働型消費はクリティカル・マスに近づきつつあること述べられています。

 

 リティカル・マスに達するためには、「便利さ、快適さ」も必要です。そのことを著者は、モントリオール市が環境保護目標の達成のために実施した「ピクシー」という自転車シェアサービスを取り上げています。

 

 「ピクシー」は、300カ所のセルフ・ステーションを設置し、移動可能な組み立て式スタンドに、太陽光パネルの設置。ネットでの駐輪場などの空き状況チェック、盗難防止用の無線認証チップなどを使い、その利便性と安全性から、利用する市民の数が一気に増えて、クリティカル・マスに達したと述べています。

 

 クリティカル・マス達成のための「利用する価値」とは本書では「所有」に対する概念として使われており、この本のテーマといっていいでしょう。「利用する価値」がクリティカル・マスに達することとして、工具の貸し出しサービスが例として用いられています。

 

 ある経営者が「タンパー」という生涯に一回しか使わないような舗装用工具を買うのに35ドル(と買いに行く途中の昼食に5ドル)を払わなければならなかったことから、地域で小規模な工具貸し出しを始めます。

 

 これも多様な品物を取りそろえなければなりませんが、レンタルの場合何より「使用した分だけ」という考え方がクリティカル・マス達成のための必須条件になります。そして先に述べたプロダクト=サービス・システムそのものともいえましょう。

 

 一生に一度しか使わないような高価な工具は、「所有」することよりも、それを必要とする人が必要なだけ「使用」することに本当の価値があります。

 

 「クリティカル・マス」が協働型消費に欠かせない要素である理由として、さらにもう一つ「社会的承認」という価値観が挙げられています。これは初期ユーザーというコアなファンから始まることが重要です。いわゆる「古参ファン」から始まるというものです。

 

 こうしたリピーターから、ほかのそれほどコアでもなく、新しい物好きというわけでもない人々が、「このサービスを同じように試してみるべきだ」(137ページ)という社会的承認を与えられ、新しく、これまでと違った行動をとる際に、それをする躊躇(ちゅうちょ)の壁を取り払うのに有効だというものです。

 

 これまでと違う行動をとり、古い習慣を変えることを求める協働型消費は「クリティカル・マスといえるほど大勢の消費者が、やはり変化していることを目の当たりにしたり、実際に経験したりする必要」(139ページ)があり、「私たちは周囲の人がしていることを見て、自分の行動を決める」(139ページ)必要があります。

 

 新しい行動を起こすためにはどうしてもほかの大勢もやっているという状況が必要であり、それはコスト節約、仲間意識(139ページ)、情報の共有(139ページ)という側面から見ることが協働型コミュニティです。気をつけなければならないのは、そうした社会的承認は、最近よく言われる「同調圧力」のような、周囲のプレッシャーから起因したものでは決してない(139ページ)ことも述べられています。

 

 

 

② 余剰キャパシティ

 

 

 サイクリング嫌いな人の自転車。一生で13分しか使わない電動ドリル。身の回りを見ると、「役には立つけどムダ」なものが数多くあります。有用で役に立つはずの「ムダ」。まったく着ていない服やほとんど使われていないオフィス・スペース。こうしたものを著者は「余剰キャパシティ」と呼んでいます。これが協働型社会の二つ目の原則です。

 

 著者は余剰キャパシティの意義について、次のように述べています。

「協働型消費の核心は、この余剰キャパシティをどのように分配し直すかだ。オンラインのソーシャル・ネットワークやGPS搭載の携帯デバイスといった最新のテクノロジーは、この問題を様々な方法で解決する手段になる。格安のネット接続が普及したおかげで生産性とモノの活用が最大化され、ハイパー消費が生み出す余剰を吸収するのにコストもかからなければ不便も感じない。」

 

 これまで、いらなくなったものは、捨てるか、あるいは、それはまだ利用できるにもかかわらず、引き取り手がないので粗大ごみとして、ムダな余剰として存在しているしかありませんでした。しかし、インターネットやSNSは、こうした世界中にある無駄、余剰を大勢で吸い上げることのできるコミュニティを作るプラットフォームとなっています。

 

 その根本的意義は、ムダの再利用という従来の環境保護を意識したものではなく、人と人とを引き合わせる「マッチング」です。「マッチング」は「ペイパル」などで始まった金融IT革命「フィンテック」では、借りたい人とかしたい人を絶妙のタイミングで引き合わせることに成功し、金融ビジネス自体の変革を巻き起こしています。

 

 マッチングは、これは先ほどのクロージング・スワップ(衣服交換会)のようなものの交換に関しても言えますが、著者は、モノだけではなく、カーシェアやライドシェア、菜園づくりのためのランドシェアというように、車の乗り合いや、休耕地とガーデニング趣味を持つ人など、人と人、人とモノ、人と土地、人とサービスといったマッチングも含めています。この点でも協働型消費社会は、それまでの環境保護視点のリサイクルと異なった持続可能性を本質的に持っている点で、新しいものといえます。

 

 

 

③ 共有資源の尊重

 

 

 三つ目の原則は「共有資源の尊重」です。資源を共有すると聞くと、コミュニティとか、共同体、組合、はてはコミュニズムを思い浮かべる人も多いかもしれません。少し古くさい、使い古された表現ですね。それは、私たちが一生懸命働いて、自分で手に入れたものを所有し、消費する自由こそが資本主義のかなめであり、それが当たり前の社会であるという前提で生きてきたからです。

 

 著者によるとこうした「私有化の正当化」(148ページ)は、1968年に微生物学者のガレット・ハーディンが雑誌「サイエンス」に投稿した「コモンズの悲劇」によって一般的になったといいます(148ページ)。個人は必ず目先の自己利益のために行動してしまうため、資源を共有することには、個人の乱用や誤用の危険がある(148ページ)という考えが、このハーディンの論文によって広まったのです。

 

 著者はその例として、幹線道路の交通渋滞を挙げています。誰もが合理的理由(比較的得のほうが多く、損をできるだけ少なくするという考え方)から、最短距離の道順を選んでしまうために、結局は渋滞を引き起こし、大勢の人の通勤時間を長くしてしまう。個人の合理的行動が、集合的利益に反する結果を生むということですが、これは私たちが、日常的に直面していることです。

 

 この考えに対抗するものとして、ノーベル経済学賞を受賞したエリノア・オストロム教授の理論を導入しています。本書ではそれがほとんど述べられていないので、元一橋大学教授、田中章氏の解説を引用しましょう。

 

(以下は「エリノア・オストロム教授のノーベル経済学賞受賞の意義」 2009年10月14日 一橋大学 岡田 章というサイトの文章を参照したものです。

http://www.econ.hit-u.ac.jp/~aokada/kakengame/Dr.Elinor%20Ostrom_Nobel%20Prize%20in%20Economics.pdf)

 

 オストロム教授の業績は「共有資源(common-pool resources)」のガバナンス、つまり収める、共有資源を管理することです。共有資源とは「コモンズ」といって、水資源や牧草地といった個人や組織が共同で使用・管理する資源のことです。ところが、こうした共有資源を管理しようとすると、個人が利己的な動機に基づいて行動しがちになり、資源枯渇や環境破壊を引き起こしてしまうため、非常な困難がともないます。

 

 そこで、共有資源の保全管理は「国家による解決」か「市場による解決」の二つしかないとなります。そういう議論が長い間行われてきました。「国家による解決」は「役人による解決」、「市場による解決」は「民間企業による解決」と言いかえてもいいでしょう。しかし、国家の場合、社会主義的な役人の統制となり、市場の場合は民営化となり、抑制の利かない資本主義的利益追求につながっていきます。

 

 そこでオストロム氏は、第三の方法として「共有資源に利害関係を持つ当事者が自主的に適切なルールを取り決めて保全管理をするという、セルフガバナンス(自主統治、政府などの機関に統治されるのではなく、自分たちで自分を統治すること)の可能性を示した」と田中氏は述べています。中央政府のような機関がないため、協力が求められているプレイヤーを監視し、協力からの離脱者を処罰、または阻止するという考えです。これを「繰り返しゲーム理論」といいます。

 

 まとめると、いかにして人間は利害の対立を克服して、第三者(政府など)の強制なしに協力を実現し、そのルールを構築できるかということです。

 

 著者は、このオストロムの理論がインターネットの登場によって脚光を浴び、スタンフォード大学のローレンス・レッシグが「クリエイティヴ・コモンズ」を立ち上げることによって、オンライン社会の中で「シェアを促進させるような重要な文化を生み出した」(151ページ)としています。

 

 クリエイティヴ・コモンズはシェアやリミックス、再利用をするために、レッシグが立ち上げた国際的非営利団体です。これによって、クリエイターたちが無調で著作権ライセンスを提供し始め、楽曲などのシェアやコラボレーションが可能になりました。

 

 コラボレーションは消費よりも一段高い楽しみとして、今後認知されていく可能性を秘めています。著者はコモンズを研究しているジャーナリストを引用して、次にように述べています。「共有資源は共通の興味を持つ人々が価値を生み出しコミュニティを作るための新たなパラダイムだ。」

 

 様々な価値観や勢力、国家間の覇権が変わるといわれている昨今、このパラダイムという言葉は重要です。パラダイムが変わることを「パラダイム・シフト」といいます。

 

 トランプがアメリカ大統領となり(政権移行チームに「ペイパル」創業者のピーター・ティール氏がいます。アマゾンのジェフ・ベゾズらが、トランプタワーでの政権移行チームの会合に呼ばれています)、日ロエネルギー外交とスマート・エネルギー、パイプライン敷設、IoTやAIのディープラーニング、自動運転と配車の組み合わせ、ドローン配送がいよいよ始まろうとしています。

 

 まさに今、現在、「パラダイム・シフト」の開始時期だとみる向きもあります。その際に共有資源、コモンズの利用は、新しいパラダイムの根本的考え方になる可能性が大きいのです。

 

 

 

④ 他者との信頼

 

 

 四つ目の協働型消費の原則は「他社との信頼」です。これはこれまでのビジネスでは必要不可欠とされた、仲介者、代理店が不必要になるということです。当然、これまで何段階も挟まっていた仲介者や、郵送や確認などの手続きの煩雑さなどが完全になくなり、人と人との信頼の意味でビジネスなどが行えます。これを「P2P」(Peer to Peer、ピア・トゥ・ピア)といいます。

 

 オストロム氏の理論は「特定のニーズに当たれるような適切なツール(インターネットやスマホなどの)を持ち、お互いを監視しあう権利を上手に管理できれば「コモナー(共有者)」(普通の人々、庶民という意味でも使われます)が共有資源を自己管理委出来る」というものです。

 

 こうしたことは「フィンテック」サービスにおけるP2Pレンディング・サービスやビットコインにおいて実現されています。こういったサービスを「マーケット・プレイス」といいますが「命令と排除によるトップダウンのメカニズムには使われず、それに伴う何段階もの許可や仲介者」(153ページ)も必要なくなります。

 

 このような取引では、見知らぬ誰かを信頼しなければならなくなりますが、P2Pのプラットフォームでは、分散化したフラットなコミュニティが作られ「他者との信頼」が構築されていきます。(153ページ)

 

 これまではセールスマン、ブローカー、トレーダーといった仲介者、代理店といった人や会社が「二人の主人公」(実際にモノやサービスを売りたい人と買いたい人)の間を取り持ち、ルールを作って管理していましたが、直接取引のP2Pマーケット・プレイスは無限であるため、今では「仲介者」の役割(楽天やアマゾンなど)は「監視」ではなくなっています。

 

 著者によれば「こうした新しい仲介者の役割は、親しみがわき信頼が築かれるような適切なツールと環境を作り、ビジネスとコミュニティがである場所を提供する」ことです。

 

 P2Pやフィンテック、クラウド・ファンディングといった新たな試みは、その根本に「共感」という思想が流れていますが、仲介者が見知らぬ個人を引き合わせ、信頼を作るというのはまさにそれを表しています。

 

 こうした信頼を醸造するのは仲介者自体の役割ではありません。それはその「場」「コミュニティ」にいる人々自身が、本来の人間関係の在り方に戻って、監視を含めた信頼形成をしていきます。

 

 著者は章の最後で、こうした「場」で、ある人が間違った行いをするとコミュニティ全体に知れ渡るため、不正を働いた人を締め出すことが可能であるとしています。そこでは、率直さや互恵の精神が奨励される、そういう場が形成されていく。それが協働型消費の第四原則です。

 

 

 

シェアという思想の意義

 

 

 シェアという思想は、これまでの資本主義や「所有」または社会主義的な「共有」を覆す、新たな人間の自然的本姓に根付いた思想の復活といえます。モノを所有するのではなく使用する。その意味での共有や再利用、再分配。その結果と過程における人と人とのつながり。本当の意味での「コミュニティ」の復活をインターネットやスマートフォン、SNSなどの近代的ツールを活用して促進する、世界的規模の試みです。

 

 この試みをいち早く実現したのが「フィンテック」という金融革命といえるでしょう。現在は保険業界に広がりつつあります。さらに教育、医療、法律などに広がっていくことが予想されていますが、それを実現するのが、IoTというモノをインターネットでつなげる試みであり、さらにそこから得られたビッグデータやライフログを、ディープラーニングという第3次AI革命がより進化していきます。

 

 自動車の自動運転や利用しただけの損保、ポイントのたまるコーヒーメーカーに至るまで、私たちの生活は、シェアを基本にしたスマートな・コミュニティとして生まれ変わっていくことでしょう。

 

 シェアという考え方は、少なくとも2020年の東京オリンピックを一つのターニングポイントとして、この3、4年のうちに大きく展開していきます。パラダイムの変更が始まることは既定の事実となりつつあります。

 

 その根本の思想であるシェアについて、本書は非常に詳細に解説しています。興味のあるかたや、その分野でお仕事をなさっている方は、ぜひ本書「シェア」を一読していただきたく思います。