2017年6月26日

 

 

 

 

 

 

 

メイドインジャパン復活!

 

 

 

 

 

コピーキャットと呼ばれた日本メーカーが復活している現状

 

 

 

 

 

 おはようございます。

 

 

 有名なロックバンド、ディープ・パープルの初来日ライブ盤「ライヴ・イン・ジャパン」(1972年)の欧米での原題が「メイド・イン・ジャパン」だと知って、当時の日本人が大きなショックを受けたという話をご存知でしょうか。

 

 

 というのは、メイド・イン・ジャパンというのは「安かろう、悪かろう」の代名詞、粗悪品の国際的名称だったからです。つまり、ちょっと前のメイド・イン・チャイナです。(まだに中国製を粗悪品と考えている人がいたら、相当やばい頭をしている、現状認識のできていない人という意味です。)

 

 

 日本人は昔から欧米のすべてをものまねする「コピー・キャット」と呼ばれていました。今でも本質は変わらず、少なくとも近代の今、根底の思想から新しいものを生み出したことはありません。ただし「モノ」という具体的に、フィジカルに触れるものに関しては、日本人は江戸時代から培われたのか、非常に器用に「モノまね」し、創造力を醸造し、戦前には造船と航空機の軍事技術、戦後には自動車と家電で世界を圧倒しました。

 

 

 しかし、この30年はどうでしょうか。ハードからソフトの時代といわれて、すでに長い年月が経ちます。いや80年代に入ったころからです。ひとえにいえば、「楽器はできたから、今度は演奏をまねしよう」という掛け声が叫ばれてもう30年を超えているのです。ところが、オリジナルどころか、全くまともな演奏ができていない、というのが今の日本企業、特にメーカー、IT企業です。

 

 

 コンピューターやソフトはできたから、その運用を考えたサービスやビジネスが全く生み出せないどころか、ものまねすらもできていない。実際の現場では事務系はエクセルを、エンジニアはコードをにらみつくしているだけです。何処が便利になったのでしょうか。

 

 

 この記事の筆者はそれを「コト」といっています。「モノからコトへ」というのも同じくらい昔から叫ばれていますが、日本は特にアメリカで始まったサービスの部分では全く太刀打ちどころかものまねすらできず、世界からずるずると後退を続けています。独自のイノベーションといえるのは、日本語ワープロを作ったジャストシステムくらいのものです。

 

 

 以下の記事は、日本の企業のすべてに当てはまる事象を、メーカー、特にIT企業について辛らつに述べている、優れた真実を述べた記事です。ぜひ心して一読をしていただきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

猿まね大国ニッポンの転落、後進国化を暗示するITベンダーの惨状

 

 

 

ITpro

2017/05/29

http://itpro.nikkeibp.co.jp/atcl/column/14/463805/052400140/?n_cid=nbpitp_mled_itp

 

 

 

 

 少し前からIT業界の人と話していて、気になることがある。例えば「韓国のサムスン電子や中国のファーウェイはすごいね」といった話になると、必ず眉をひそめて「あんなの、米国の猿まねでしょ!」「コピーキャットのどこがすごいのか」とムキになって言い返す人が増えてきたことだ。そんな人も立派なビジネスパーソン。Twitterなどでの裏の顔を知らないから断言できないが、おそらく反韓・反中感情を持っているわけではないはずだ。

 

 

 いやぁ、由々しい事態である。断っておくが、私は何も「日韓友好、日中友好の観点から問題」と憂いているわけではない。私の問題意識からすると、そんなことは小事である。「かつては猿まね大国ニッポン、その日本のビジネスパーソンが何を言っているのか。日本企業特にITベンダーが世界で負けるのは、猿まねができなくなったからだぞ」。私は立派なビジネスパーソンとケンカしたくないので黙っているが、本当は声を大にしてそう言いたい。

 

 

 まさかそんなことはないと思うが、この手の立派なビジネスパーソンはひょっとしたら「日本や日本企業は猿まねしなくてもよいぐらいクリエイティビティがある」と勘違いしているのでは、と懸念する。もちろん、米アップルのようにクリエイティビティで勝負できれば、素晴らしいに決まっているが、日本企業の大半、特にITベンダーのクリエイティビティは皆無に等しい。

 

 

 そう言えば、日本には少し前から、「日本はすごい」「日本人は個性的」と外国人にヨイショされ悦に入るという、気持ちの悪い風潮がはびこっている。まあ、昔「日本人には個性や創造性が無い」とあざ笑われ続けた結果、自意識が肥大化したせいかもしれないが、カネもうけに生きるビジネスパーソンが、そんな風潮に惑わされ、自分たちの正確な姿を見失ってはいけない

 

 

 確かに、アニメなどエンターテインメント産業のクリエイティビティは素晴らしいし、原宿ファッションも世界をリードしているのかもしれない。日本の遺産や伝統文化も世界に誇ってよい。だが、それらはほんの一部の人や企業、そして偉大な先人によって生み出されたものであり、今の大多数の日本人や日本企業は何の関係も無いここは戦後日本の原点に返り、「韓国や中国の企業の猿まね力を猿まねしよう」と思わないと本当にヤバイぞ。

 

 

 

かつてIT産業は猿まねで黄金期をつくる

 

 

 日本のIT産業の黄金期(あえて言えばの話だが)は、1990年代初頭までのメインフレームの時代だった。黄金期をつくった原動力は、もちろん日本のコンピュータメーカーの猿まね力国策としても米IBMのメインフレームの猿まねが奨励され、特に富士通と日立製作所はハードウエアだけでなくOSレベルまで完全互換のメインフレームの開発に成功した。

 

 

 たとえ猿まねであっても、国産メインフレームが登場したときには「これでIBMに追いついた」と関係者は皆で喜んだと聞く。その後、IBM産業スパイ事件でFBI(米連邦捜査局)のおとり捜査に引っ掛かって逮捕者を出すなどの醜態をさらしながらも、日本のIT産業は猿まね路線でがんばった。その結果、巨人IBMとの差は大きかったものの、日本のIT産業は米国に次ぐ世界第2位の地位を築いた。

 

 

 ところがIT産業の覇権がIBMからマイクロソフト、そしてアップルやグーグル、アマゾン・ドット・コムといった米国企業に移るに従って、日本のIT産業は猿まね力をどんどん喪失させた。メインフレーム時代には日本のコンピュータメーカーは、曲がりなりにもIBMにタメを張っていたのだが、その後のソフトウエアの時代、そしてサービスの時代には時の覇者を猿まねできなくなり、クリエイティビティのカケラも無いSIという人月商売に逃げ込んだ。

 

 

 いったい、なぜなのか。「同じ米国でも東海岸(IBM)は追い付けても、西海岸、ましてシリコンバレーに追随するのは無理」という開き直りのような言い訳を聞いたことがあるが、少し前なら「そうかもしれない」と納得していられた。だが、今は納得感が全く無い。「コピーキャット」と非難されてもアップルとタメを張るサムスン、そして富士通をあっさり抜き去りシスコシステムズなどを追撃するファーウェイは、なぜ猿まねができるのか。

 

 

 それだけではない。アリババ集団や騰訊控股(テンセント)、滴滴出行といった中国企業を筆頭に、アマゾンのEC(電子商取引)、米フェイスブックのソーシャルメディア、 米ウーバーテクノロジーズのライドシェアなどを完全コピーしたITベンチャーが、インドを含めたアジア全体で急速に巨大化している。今や日本は、少なくともITの領域では“アジアの後進国”に転落しつつある。

 

 

 

ビジネスのやり方を猿まねできない

 

 

 さて、なぜ日本のIT産業がこんなにも猿まね力を失ったのかを考えてみる。実は、もともと猿まね力が無かったのではないか、と私は思っている。「ちょっと待て。『メインフレームの時代には、日本のIT産業は猿まね力で黄金期を迎えた』と書いたではないか」と読者から怒られそうだ。確かにその通り。だが、その猿まね力はあくまでも、ものづくりの領域においてである。

 

 

 IT産業に限らず、日本人や日本企業はものづくりの領域では、猿まね力がずば抜けている。読者を挑発したいので、ここまであえて「猿まね」という下品な言葉を使ってきたが、ものづくりの領域では、日本人や日本企業の模倣する力を猿まね力と呼ぶのはふさわしくない。模倣する際、その対象を徹底的に研究し、創意工夫を凝らし、オリジナル以上のモノを造ってしまう。まさにクリエイティビティある模倣である。

 

 

 だからこそ日本の製造業は、メインフレーム時代のIT産業だけでなく、欧米企業から学び、優れた製品を模倣することで、さらに優れた製品を生み出したわけだ。その中でも特に優等生だった自動車産業と家電産業などからは、多くのグローバル企業が誕生した。ところが、IT産業ではメインフレームの時代が終わると、「モノからコト(≒サービス)へ」の時代となった。

 

 

 その際にIT産業では、日本企業の致命的な欠陥があらわになった。何のことかと言うと、米国企業などが作り出した新しいサービス、新しいビジネスモデルを全く模倣できないということだ。つまり「モノ」だと完全コピーできるのに、「コト」つまりサービスやビジネスのやり方になると猿まねもできないわけだ。それがあまりにも無残に露見したのが、アマゾンなどのクラウドサービスを猿まねしようとしたときだ。

 

 

 コンピュータメーカーをはじめ大手ITベンダーは、アマゾンの「AWS(Amazon Web Services)」を猿まねしようとして、一斉にクラウドサービスを発表した。一見、サービスを猿まねできたかのようだが、そのサービスでどのようにビジネスをやるかという「コト」をまるっきり猿まねできなかった。その結果、自前のクラウドは売れず、今や日本ITベンダーのクラウドビジネスは、AWSやマイクロソフトの「Azure」の“販売代理店”にすぎない。

 

 

 

人民解放軍出身のCEOは「米国の靴を履く」

 

 

 ビジネスのやり方を猿まねできないという日本のITベンダーの弱点は、“今どきの”ものづくりでも遺憾なく発揮される。iPhoneが登場したとき、iPhoneを分解したコンピュータメーカーの経営者が「うちで造れないモノは何一つないのに、なぜiPhoneのような製品をうちで造れない」と嘆いたというのは、有名な話だ。モノにサービスをまとわせるというビジネスのやり方には、思いも寄らなかったらしい。

 

 

 結局のところ、ビジネスのやり方を猿まねできないのは、経営の問題なのだ。「モノ」は現場で模倣できるが、「コト」のほうは現場ではどうにもならない。新しいサービスやビジネスモデル、それに社内の業務プロセスも含め、米国流のビジネスのやり方を猿まねするには、経営の強い意思とトップダウンによる現場への徹底が不可欠だ。

 

 

 では、韓国や中国、新興国のITベンダーの経営が、そんな猿まねをやっているのかというと、実際にやっている。例えば人民解放軍出身のファーウェイのCEO(最高経営責任者)はある時、次のように厳命した。「米国の靴を履く。自分の足を削ってでも靴に合わせよ。履き心地が違うからと言って勝手に靴を変形させるな」。何のことかというと、独自のビジネスのやり方を捨て、米国流を完全コピーしたのだ。これによりファーウェイはグローバル企業へと飛躍を遂げた。

 

 

 さて、ここまで読んできた読者は既にお気付きかと思う。これはIT産業だけの問題ではなく、多くの日本企業に共通する問題だ。IT産業でいち早く問題があらわになったのは、いち早く「モノからコトへ」が始まったからにすぎない。その証拠に「モノからコトへ」のデジタルの荒波を被った日本の家電王国は一気に瓦解した。次はいよいよ日本最強の自動車産業の番である。

 

 

 そんなわけなので、ITベンダーも、それ以外の日本企業も一刻も早く猿まね力を復活させなければならない。というか、ビジネスのやり方を完全コピーできるように、経営者やマネジャー層は猿まね力を身に付けなければならない。「うちのやり方は特別」などと言っているようでは経営の怠慢である。そこには何のクリエイティビティも無い。本物のクリエイティビティは猿まねの先にある。このままでは日本はITの後進国から、本物の後進国に落ちぶれてしまうぞ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 編集部後記です。

 

 

 この記事は「木村岳史の極言暴論!」という素晴らしいコラムからのものです。この記事のほかにも非常に、辛辣ではありますが、今の日本の真実をついた鋭い洞察に飛んだ記事が目白押しです。自分の痛いところを突かれる内容が多いですが、これは海外のビジネスマンの間では当たり前のように言われている内容と非常に似ています。

 

 

 ぜひご一読ください。

 

 

 

http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20130315/463805/?TOC=1